シンポジウム・デバ

(日仏会館創立90周年記念日仏春秋講座)「ルネ・カピタンの知的遺産:共和国・憲法・ルソー」(同時通訳)

樋口陽一(日本学士院会員)、オリヴィエ・ボー(パリ第2大学教授) 司会 三浦信孝(中央大学教授)

“イベント詳細”

2014-10-24(金) 18:00
会場
日仏会館ホール
東京都渋谷区恵比寿3-9-25 渋谷区, 東京都 150-0013 Japan
日仏会館ホール

参加費: 無料

 

同時通訳 / 定員 120名 / 要事前予約

 

主催: (公財)日仏会館、日仏会館フランス事務所

 

後援: 日仏法学会、日仏政治学会

 

 

 

 

要事前登録: 日仏会館ウェブサイトのトップページの「イベント参加登録」からアカウントを作成し、事前申し込みをお願いいたします。インターネットを利用していない方はファックス(03-5424-1200)または電話(☎ 03-5424-1141)にて参加登録をお願いいたします。

 

 

 

1924年に設立された日仏会館の歴代フランス学長のうち、学界の最高権威とされるコレージュ・ド・フランスの教授だったのは、初代のインド学者シルヴァン・レヴィ(在任1926-1928)と日本学のベルナール・フランク(在任1972-1974)だけであるが、学者でありながら政治家として活躍し二度も大臣をつとめたのは憲法学のルネ・カピタンだけである。カピタンは学長在任中(1957-1960)に日仏法学会をはじめ五指に余る専門別日仏学会の設立を支援し、日仏学術交流の礎を築いた。

第二次大戦中レジスタンスに参加したルネ・カピタン(1901-1970)は、1944年パリ解後ドゴールを首班とする臨時政府で文部大臣、1968年5月革命から翌年のドゴール引退まで司法大臣を務めた「左のゴーリスト」である。アルジェリア戦争中の1957年に日本にいわば「亡命」したのは、アルジェリア人の教え子の弁護士がフランスの官憲に殺されたことに抗議してパリ大学での講義を中止したのがきっかけと言われる。

ルネ・カピタンは、1960年から2年間パリ大学に留学した若き憲法学徒・樋口陽一(1934年生まれ)の学問上・思想上の師であり、現代フランスの代表的憲法学者のひとりオリヴィエ・ボー(1958年生まれ)は、直接カピタンの謦咳に接した世代ではないが、カピタンの憲法思想を掘り起こすため、戦前の論文を集めてEcrits d’entre-deux-guerres (1928-1940) と Face au nazisme. Ecrits1933-1938 の二書を2004年に刊行している。司会をつとめる三浦はルソー生誕300周年の2012年、フランス国民議会でのシンポジウム「ルソーと大革命」でオリヴィエ・ボーの講演「ルソーと憲法思想」を聴き、カピタン、樋口、ボーに共通する思想軸はルソーの国法(droitpolitique)理論ではないかとあたりをつけた。